マス・コミュニティ

京都,立教,同志社,早稲田

この4大学で入試のカンニングがあった.

それはインターネットのyahoo知恵袋を利用した方法であった.

個人的には「あれ?このカンニングの方法は既にやられていたというわけではないのか?」と驚いた.

Twitterでは,マスコミが喚きすぎたとか,大学側が警察に届けを出したのがだめだとかいろいろな意見が見られた.

確かに,マスコミは騒ぎすぎただろう.私は最初のうちは「事実を届けているからまだましかな?」という程度の意見しかもっていなかったが,逮捕された受験生の家庭環境を引き合いに出し始めた頃から前言撤回.「マスコミ,こんなときでもやっぱりだめだったわ」という意見を持ち始めた.

マスコミの出す情報は9割方嘘だと思っている.(特に話題が逸れ始めたら)

しかし,私たちは自分自身が得た情報だけでは生きていない.

伝聞,本,テレビ,新聞,インターネット,……

さまざまな形で不確定な情報を得て,それを利用している.

マスメディアはその情報の大きな源といっていい,そのマスメディアがどんどんゴシップ誌のような形に変化している.

確かに,難しいニュースをわかりやすく伝える.というコンセプトは純粋にアリだ.世の中は聞いてすぐわかる物分りのいい人ばかりではない.(むしろそうでないのが大半である)

しかし,純粋に情報を得ようと思っている人にとってはそのゴシップのようなところはいらない部分であり,まったく関係のないコメンテータの意見は聞いていても何の意見も沸かない(正直,知識人でもないのに出てきて大口たたくようなコメンテータはいらないと思っている.テレビ局とかではコメンテータと芸人は同じ括りなのだろうか.)


マスコミのあるべき形とはなんなのだろうか?

それをアウトプットするにはまだまだ思考が足りない.