プログラミング言語信仰論
ちょっと技術的な話を書いてみる.
このブログではニュースを拾って,部屋の隅でぐちぐちと何か言っているような感じの
コンセプトなのですが,
はてなブログにカテゴリ機能が付いたのでそちらの方を使って分けていきます.
はてなダイアリー?あ,忘れてた……
今回は少しプログラミングに絞ったネタを書いてみる.
よくプログラミング言語においては信仰論的なものが存在したりする.
「○○以外認めん!」とか「××は使い物ならない」とか.
それぞれの言語の特性であったり,普及の程度と個人の感性によってこれらは決まったりするが(重みは等しいというより普及の程度が結構ファクタとして大きいと思う)
私は「その人なりの理由があって動けばいいんじゃないですか?」というどの人からも恨まれそうなタイプ.
ユーザからしてみたらどんな言語で書かれていようがサービスの質が変わらなかったら問題はない.(そこに言語が絡み始めたりはするけど最近はマシンの力とかでなんとかなりそう)
プログラマとしてあらゆる言語に触れていけというわけではない.
自分が絶対の正義のように相手を排斥するのはどうなんだろうということ.
確かに人は何かにすがって生きたほうが楽だ.
何かにつき従い,判断を任せ,利益や不具合を享受する.
それ自体は構わない.
しかし,その信仰を,その中で閉じていれば幸せな夢を,無理に壊すことは必要がないとも思ってしまう.
それで不利益を被っている人が誰一人としておらず,周りから見ても別に問題がないのであればだが.