アウトプット論

周りの人からアウトプットが重要だとよく言われる.

私自身,数学で論文を書けるほどの研究はしていないので

高々月一回Texでレポートを書いているだけなのだが.*1

しかし,アウトプットが重要だというのはまぁわかる.

アウトプットしている間に新たなことを発見したりする.

このブログでもまぁそれっぽいことはある.新たなことの質はともかくとして.

とりあえずアウトプットというものを広くとらえると大概のことはアウトプットになる.

話すことも考え等を外に出すという点でアウトプットだが,一応なにかしらの形として情報が残る場合をアウトプットとして考えてみる.

そうなるとTwitterでのちょっとそれってどうなんだ?というものもアウトプットになる.*2

罪の告白ならいざ知らず,意識を無意識に垂れ流しているアウトプットである.*3

そして一日中ツイートしているようなアカウントも見受けられる.

アウトプットは重要だろうが,その一方でアウトプット中毒というものも存在している.そこまでいくと問題である.*4

アウトプットがオープンになりすぎたことでアウトプットのために動くというような「ネタ探すために生きる」といった形になっているような気がしてならない.*5

*1:そういっても大概それを教授に提出したら紙の無駄と言われる.否定ができない.ぐぬぬ.

*2:そういっている私のアウトプットも他者から見たらそれってどうなんだ?というものだろうが……

*3:表現がおかしいとは自分でも思う.でも個人的にこの表現が一番しっくりくる.

*4:問題のあるツイートを流しているというのは中毒であることとイコールではないし,中毒レベルでツイートを流している人が問題のあるツイートを流しているということではない.

*5:こういうこと言えるのは私があまりブログ等で書き込んでも影響力もなければ,それに対してのレスポンスがないからある種の義務感を持っていないからかもしれない.レスポンスがあったりしてそれが好意的なものであればあるほど何か変な義務感を持ってしまうような気がしてならないのは私だけだろうか??