どこでも手に入れられる.それと同時に手に入れることが不可能な人生の意義
今週のお題「心に残る映画」
「最高の人生の見つけ方」が個人的には好きかな.
詳しいことは評論サイトとかにお任せしておきます.
モーガン・フリーマンとジャック・ニコルソンの演技は素晴らしいものです.
あとは適当に考えたこと.
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人生とは何のためにあるのだろう.金?名誉?家族?友人?
金や名誉はわかりやすい.しかし,金や名誉はなくなればただの人だ.他人はどうせ自分の金か名誉から発される権威しか見ていないと思うと,どうにもやるせない気分になるだろう.
それでは家族だろうか?家族には愛があることだろう(例外は非常に多いがそういうことにしておこう)しかし,どこかで義務が付きまとってしまうことがある.1人の時との比較をついしてしまう人もいるかもしれない.人生をこれだけのためだと言い切ってしまうのには無理がある.
友人にしてもそれすなわち人生とは言い難い.いろいろなものが混じり合ったものが人生なのだからある特定の価値基準を求めるのも難しい.
最近よく見ると,ワークライフバランスというお題目が社会で広まっている(実質にそれが行われているかどうかはわからない.多分お題目はお題目だろうが).
仕事だけに追われて最後は家族に看取られて死ぬ.これも人生の1つの形だろう.それにいいも悪いものない.その人が「これでよい」という形が人生の形であり意義であったのだろう.
私ならばさっきの問いに対しては「人生は何のためにもない」ということだ.
今まで生きてきた理由も「死にたいと思っても死ぬことをどこかで拒否している間にずるずると時が過ぎてしまったから」と答えるだろう.
人生に意味を求めるなんてことはしない.意味を求めたらその時点でつまらなくなる.子供の遊びに理由があるか?子供たちが大声ではしゃぎまわっているのにまで理由をつけるのはナンセンスではないだろうか?
人生を楽しむためにはこういう考え方をしろよというわけではない.
人生を楽しみ,それに意義を与えることをあなたがよしとしてその理で他人を傷つけなければそれでいい.そんなもんだろう.