子供の質問2

まったく需要がないと知りながらも第二弾.

子供から質問されるだろうことに対して

深く考えていくという傍から見たらただの危ない人っぽい行動.

今回は実際に言われたことがある質問.

何故生きているの?

この一言だけだったらなんというか.追い込まれいる感じがしますがそれはともかく.

何故生きているのかということに対しての答えは人それぞれ.

でも「考えたことはない」というそのとき同席していた他の人からの答えを聞いた時には

ちょっとがっかりしてしまった.

なぜ生きているのか?ということは明確にしづらいものではあるが.

一番身近な考えるテーマに対して考えたことがないというのは

ちょっとどうなんだろうと思ってしまう.

私は「死にたいことは何度もあったけどその時に死にきれなかった」というのがその時の

答えでした.

何故生きているかということを考える際に生きているという観点ではなく,

何故死んでいないかという観点から考えた結論.

生きている理由として「色んな人に会い,ふれあう.またはいろんな知識を得るように行動することができる」というお手本のような答えもあったのですが,

じゃあ仮に死んだあとに別の世界があるとして(宗教的な話しになってしまいますが,俗にいう霊魂がある世界において)そこでさっきの理由が満たされるならば死ぬのだろうか.と考えたときに,多分そうではないと思った.

この否定はなぜ起こるのかというと仮定が全くもって不確かなものであるからだと考えた.

その不確かであることの論理的な観点,今の生に対しての執着という原理的な欲求から多分今の今まで死にきれなかったのではないかと思う.(勿論,これは自殺という観点が中心となっており,それ以外の不幸な事故などに合わなかったというのも理由に追加すべきだが.)

そこから私は現在生きている理由は「死ぬタイミングに死ぬことができなかったから」

という結論になった.

皆さんはどう考えますか?生という観点から考えますか?それとも死という観点からスタートしますか?

「そんなことを考えても無意味だ」という人は勿論いるでしょうが,この世の中に意味のあるものはどれほどなのでしょうか?

時にはこんな子供のような質問に対して真剣に考えて自らの結論を出してみてはいかがでしょうか.