社会に対しての解法と答え

就職活動のことを少し思い返すとどの会社も同じようなことを言っている.

そしてお決まりの言葉は「今までの教育のカリキュラム(大学・高校など)は答えが存在していたが,社会にはこれと決まった答えや解法がない.」というものだ.

私がそれを聞いて思うことは,

「いや、でもIT系って決まった手法でプロジェクトを進めてますよね?」

ということだ.

IT系に限った話ではない.ある程度のマニュアルというものがどこでも存在している.

それは解を得るための手法であると考えられる.

しかし確かにこれをやれば「絶対に安全で儲かる」というものは存在しないのだから社会に対してこれと決まった解法がないということは認めてもいいかもしれない.

だが,答えがないというのは私は大嘘か何の考えもなしに発された言葉なのではないかと思う.

私の考えでは会社における答えというものは

「アウトプットをせよ」

この1つだ.

このアウトプットというものは様々なものを指す.

上司への報告,取引先へ納入するもの,日々の会議の議事録等々

業務によって得られた金も勿論アウトプットに入る.

そこに顧客のためとか,社会のためとかをつけるのは本質を妨げようとする言葉でしかない.

シンプルに考えれば社会も教育もアウトプットを得るという観点ではまったく同じであり,

そこに不確かな解法があるのか確かな解法があるのかということの違いなのではないだろうか.