所属思考からの解放
よくあることだが,「●●(会社や学校名)の△△です」という紹介がよくある.
名刺にも自らの所属を書き,自らのラベル付けを行っていく.
個人的なことではあるが,プライベートなイベントに関しては
自分の所属(特に会社名や学校名)は書かないようにしている.
なぜかというと所属が全く関係ない(別にお金を払ってもらっているわけでもない)状態で
わざわざ自らが好まないラベルを付けることが嫌いなためである.
第一,このラベル付けは自由を制限させる一つの要因になっているのではないかと考えている.
周りのひとは所属は重要かつ普遍的であると考えているようだ.
確かに,別会社の重役に会うときにはそのラベルを利用することは
重要なことであることは間違いない.
(そもそもそのラベルがなければ会ってくれないこともざらだ.)
しかし,私はラベルは普遍的である必要は全くないと思う.
それは,職業選択の自由という観点ではなく,自らが自発的に参加している物事に対してまで
不必要なラベルを張り付ける必要はないという観点からだ.
ラベルは剥がせない(普遍的な)ものではない.
自ら自由に剥がし,貼り付けられるものという認識.
物理的なノマドは馬鹿の一つ覚えのように言われているが,
精神的なノマドに対しての意識を高めることが
今後の仕事の方式(1人1人がそれぞれ技術,ノウハウを持ち,それらをそれぞれに合った企業や活動に対して活用していくという所属意識から解放された仕事の方式)を実行するうえで,重要なのではないだろうか.