馬鹿のように公開する社会

Twitter,Facebook様々なSNSがブームとなり消えていく.

そこでよく聞くのが「本来話すべきではないことまで公開してしまう」という事例だ.

大学生がカンニングペーパーの作成を,飲酒運転を,新社会人が余計なことを話してしまったがために

悪事が表に出たり,バッシングの嵐を受けることになった.

それをSNSの管理側に対して文句をいうことはできない.

彼らは「良識の範囲内で」ツールを使うという前提があるのだから.

(腹の底ではどう思っているのかはわからないが表向きはこの前提を暗黙の了解として提示していると思う.)

自己責任という前提ですべて行う必要があることを私たちは意識的に,論理的に理解する必要があると思う.

SNS,ひいてはITの力によって何を得ただろうか.

ユーザ側のメリットとしては2つある.

多くの人とつながることで行動をすることができるようになったという点

そしてもう1つは今までの経験や作業を短縮できるようになったという点.

前者がSNSの,後者がビジネス向けのITの利点だろう.

逆にデメリットは何があるだろうか.

私としては「利用者が馬鹿になった」ということを挙げたい.

決して,利用している人全員が馬鹿だと言っているわけではない.

(その理論なら私は大馬鹿者だろう.実際,その理論がなくても事実として大馬鹿者だという認識はあるが.)

それは便利になったが故のモラルや考えることに対しての意識低下が主な原因だと考える.

そしてそのモラルの低下を臆面もなく世に出す.

その世に出すところでSNSがツールとして出てくる.

SNSはその部分において罪があると考える人が多いのはそのためだ.



私の持論としてITは最終的に人を駄目にするという可能性が高いと思っている.(正しくはITに限らず,どんなものでも突き詰めれば人を駄目にできるという考え.)

その考えを他の人に(不注意にも)話したことがある.

Facebookとかって態々顔を出して名前出して重要な個人情報を何の危機感もなく出させるようにする.人間をある種駄目にするツールだと思う」

その言葉に,その人は激昂し,反論してきた.

Facebookで昔の知人・知らない人とつながることができた」

Facebookで様々な情報を得ることができるようになった.」

こんな素晴らしいツールをけなすなんて信じられないとのこと.

なるほど.確かにそれはいいことなのかもしれない.

しかし,Facebookを通じないと本当にそれらはできないのか?

昔の知人であれば仲良かったらその時に連絡先等を聞いておけばいいではないか.ブログのアドレスを教えるでもいいだろう.

その時にコミュニケーションのツールがなかったとはあまり考えられない.

(その時にまだITが大きく普及していないならまだしも.郵便等でもコミュニケーションは可能だったはずだ.)

知らない人に関してはつながることで何を得たのか?とも思った.つながるだけであれば近くのコミュニティセンターでも行けば

つながりは作ることができるだろう.

(実際,私も地元のコミュニティセンターには足しげく通っている.如何せんつながりはご老人が多いのだが.)

様々な情報を知ることができたと言っているが,果たしてそれは本当に今までのツールでなしえなかったことなのか?

単に自分が出不精,情報収集の力がないことを言っているだけではないのか?

元々,Facebookに関していうとあれはインターネット上での個人の証明が他のSNSには見られなかった要素だ.

インターネットで人脈づくりも結構だが,その裏でしっかりとオフラインで会う.

言葉を交わすということがなければSNSも意味がないのでは……と考えてしまう.

ビジネス向けのITの功罪に関してはまた別の記事で書きたいと思う.

以上,屁理屈をこねるコミュニケーション能力がない大馬鹿者の支離滅裂な記事でした.