発達した技術への羨望と慄き

私たちは日常の中で10年前では考えられないような技術を使っていることはよくある.

発達した技術に対して多くの期待を寄せている人がいる一方で,
「過ぎた技術はいろんな意味でよくない!」という人もいた.(過ぎた技術の範囲がよくわからなかったがおそらくはここ最近の情報技術のことだと解釈する.)

過ぎた技術を出すことは確かに問題があるだろう(たとえばクローン技術とか.人間もいけるらしいが生命倫理の問題でそのままお蔵入り状態.本人の臓器クローンを作ることに転換されているらしいが.)

しかし,どんな技術にせよ使用の判断をするのは人間なのである.

戦争ではロボット技術を駆使して遠隔飛行させた戦闘機で攻撃しているらしい.

戦争にロボット技術を使うなと言いたいところだが,要素に分解していくと私たちの使っている技術が出てくることだろう.

それはだめだ!と言うが,技術の流用をなくしたければこの世から戦争を完全になくさなければならない.

技術は刃である.私たちが包丁として使っておいしく料理を作るか凶器として人の命を奪うかはその利用者次第なのだ.

その刃に活用性を見出し,希望を見るのか.それともその刃が人の命を奪うシーンを想像して慄くのか.

それは個人の自由だ.ただ私としては凶器として技術が振るわれないことを祈るばかりである.