生きているということ
卒業式終了.他の研究室は終わってからも教授と色々と写真撮ったりしているがこっちの研究室は成績表と卒業証明書を頂いて即解散.
非常にさっぱりしています.まぁこういうのもいいのかもしれない.他の研究室入り浸っていた人間なのであんまりこういうことに言及するべきではないんですけどねww
正直,学長の言葉は話半分*1聞いてその感想は
スピーチ下手だなぁという感想しかないのはどうなんだろうと思った.*2
そのスピーチでも東北・関東大震災*3について触れていました.
その話しはまったく聞かなかったですれども*4その単語だけで想いが頭を駆け巡りました.
人間が作ってきたものも一瞬にして自然に飲み込まれるということや,
安全管理していないもので余計に被害拡大させているんだから人間という大きな「生物」というカテゴリで見たら自業自得だよなということだったり,色々考えることがありました.
その中でも,生きているということが非常に幸運であるということがぽっと出てきました.
よく道徳の教科書でこのようなテーマを取り扱った話を見たりしますが,そのどれよりもこの震災を被災している人が本当に懸命に生きているということ,そしてその懸命に生きている姿に対して他の人が助けの手を差し伸べているということ.
困ったときはお互い様.
こういう論理はよく戯言のように扱われるが,そうではないということですね.*5
そして今被害を受けず何かをすることができる私たちは非常に幸運なんだと思います.その非常に幸運な私たちしかできないことがあって,それは今,非常ではないけれども幸運な人たちにすることができる.
と、考えているうちに学長の話が終わってやれやれようやく帰れるとほっとした非常に幸運な私なのでありました.*6